どうもこんにちはしおさいです。
いろんな方からこのような意見をいただくことがあります。
実はこれ皆さん勘違いされています。
それでは解説していきますね。
Contents
導入 時々話題になる国語の解答は一つに決まるのか問題
今年の入試でも起こりました。
早稲田大学の入試問題です。
早大教育学部の入試国語めぐり著者が問合せ→回答に猛反発「誠実な対応を」 大学「発信は認識」(J-CASTニュース)
https://news.yahoo.co.jp/articles/1a7cb43790eb21dff5098a8c36cb15b0a43803dc
解答の食い違いが出る。
必ず大学側には根拠を説明してほしいね。
今回は筆者+予備校の解答と早稲田側の解答が食い違っているようです。
受験生に対してもこの一問で合否がかわりうるので
誠実に対応してほしいですね。
皆さんはどう考えていますか?
私の周りの国語好きじゃない派の言い分
私の周りでは大体こんな感じでした。
もしそうなら問題製作者と感性が合うかどうかの運ゲーじゃないか
というのです。
文系より国語ができる理系と言われた私なりの考えを書いていきます。
私の言い分
算数とかの問題みんな同じ読み方するでしょ?
同じように読むんだ。
私の言いたいことは上記会話に集約されます。
確かに人の感じ方には差異こそあれ
教科書やほかの教科の問題文は大体皆さん同じような読み方をします。
そう。皆さんやればできるのです。
書いてある以上のことを推測で読まない。
これが大切なのです。
なぜ国語の文章に限って”解釈の多様性”を考えてしまうのか
これは私の仮説です。
異論反論あると思います。
学校の授業を思い出してください。
ということなんだ。
私が年の離れた身内の授業参観に行ったとき感じたことです。
この文章を読んであなたはどんなことを感じましたか。
こう先生が問いかけていました。
全く悪いことではありません。
それは国語という教科が”子供の情緒教育に役立っている”側面があるからでしょう。
でも考えてみてください。
例えばほかの教科では正解が一つに最終的には決まっていましたよね?
このギャップこそ国語だけ正解が決まらないように思える正体なのではないでしょうか。
小学生のころから正解を決めるような教育が行われていないのです。
どうやったら点数とれるようになるの?
各種参考書を読んでみて!
とにかく小学校以来培われた
正解のない読み方を脱却してほしいなと思います。
正解が決まると思うとまだ勉強する気おきませんか?
読み方はブログで書けるほど短くないので
各種参考書に譲ります。
私はこの本が好きです。
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辞書に書いてある意味通りに文章を読むことなんだ。
自分の意見を聞いているわけではないってことだ。
解釈を介在させない読み方の意義
普段使わないような
特殊な文章の読み方を強要する国語って
何の意味があるの?
理由は学校で必要な能力だからだよ。
学校ではどんなことが行われるでしょうか。
小学校~高校は教科書を読み、人の話を聞き、知識や知恵を吸収する。
大学では教科書や論文を読み、
自分で発見した知恵を論文に書いて発表する。
変な解釈を加えた読み方聞き方をされると
適切に指導できないんだ。
普段の小説とか読む際はいくらでも感情移入してかまわないのですが
こと学校教育になるとこのように教師の言葉や教科書に変な解釈を加えたり
論文書く際に解釈の幅がある文章を書かれると困るのです。
国語はそういう能力を見るための試験なんですね。
まとめー国語の回答は考え方次第で一つに決まる
本記事のまとめです。
ポイント
・国語に正解はある。
ないように思えるのは解釈を重視した学校教育や世間の考えに一因。
真面目に取り組むと成績にも表れてくる
それではまた!